ほんとうに「みんな」そう思ってる?

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わたし自身もおそらく、その声かけが一番きくタイプです。

こんな外国のジョークがあってさ。
船が難破して脱出しなければならない!ってとき。
それぞれの国の人になんて声を掛けるとスムーズに脱出してくれるか?ってお話があるのよね。
ドイツ人に対しては「法律で決まってます!」
アメリカ人に対しては「最初に脱出したらヒーローです!」
みたいなジョーク話。

国民性の違いっておもしろい話だよね。
さっきのジョークだと、日本人に対してはなんて声かけだったと思う?
「みんな脱出していますよ!」だって。
それがもっともスムーズに日本人が避難するってのを読んだとき、なるほどなーって思ったものです。

・声の大きさ

これは国民性の違いというより、そもそも動物なら誰しもが持っている特性のお話。
程度の問題はあるけれども基本的に声のボリュームが大きければ、そちらに意識が向くのは当たり前だよね。

届け、この思い。

相手に対してなにかを伝えたいとき、相手にこちらを向いてほしいとき……あらゆる場面でよく目にする。
大きな声で相手に接することで、自分の意思や感情をより伝えやすくする方法かもね。

もちろん喧嘩や言い争いではもっと特別な意味を持つこともあると思う。
相手への攻撃だったり、威嚇だったり、声のボリュームがいろんな役割を持つこともあるだろうね。

けれども私たちの身の回り、今の時代の生活においても、声のボリュームが認識を歪めることってよく見かけるんじゃないかな。

相手になにかを伝えたとき。
伝えた相手に、その影響力を実際よりも大きく評価させること、と言えばいいだろうか。

一例として、世の中ってのはものすごく複雑にいろいろな事象が絡み合っているよね。
考え方や信仰なんかももちろん、0か1かなんて単純な話ではない。

でもさ、ほかの情報をシャットダウンした状況で非常に大きな声で言われてしまうと、その影響を大きく受けることってないかな。

・SNSのインプレッション

そんな状況ないよ!!
と多くの人が言うと思う。

ずらーっと並ぶワイ好みのアレやソレ。眼福至福。

けど一例としてSNSや動画サイトなんてのはどうだろう。
そのサイトを開くと、自分の好みに合わせたおすすめや興味のある書き込みがズラーっと並んでいるよね。

これはマーケティングでもごく当たり前に行われている手法だし、売り上げなどにも直結するほど影響が大きいやり方。

そりゃそうだよね。
興味のない広告を見せられたってあんまりピンとこないもんね。
むしろそっ閉じしたりキャンセルしたり、興味がないボタンを押すのもごくごく当然のことだと思う。

声の大きさと何が関係あるんだ!!と怒られそうだけどさ。
自分の興味があるものや関連するものだけが世界や人間の感情のすべてではないよね。

つまりいろいろな考えや視点などがあるはずなのに、ほかの情報を排除して自分にとって興味深いものだけを表示させているとも言えるわけ。
これって声が大きいのと同じことだと言えないかな。

それが悪いこととは言わない。
でも、その情報が閲覧者に与える影響ってのは、興味がないものばかり並べた場合とじゃ比べ物にならないほど大きいはずだよね。
だからこそ商業的にも効果があるって企業は知っていて、実際に行われているんだもの。

・それって実は少数かも?

SNSってのは愚痴のはけ口として利用している人も多くて、ネガティブな書き込みだってあるよね。

「旦那デ〇ノート」とか荒みすぎですって。

ここで一例。
パートナーが〇〇をしなくて腹立つ!!みたいな書き込みって誰もが一度は見たことがあると思う。
家事だったり育児だったり、時には仕事だったり……それはいろいろ。

実際にそういうこともあるし、そういうご家庭だってある。
そこに腹を立てている方だっていて当然だよね。

人によってはおすすめがこうしたネガティブな書き込みで埋まる人だっているかもしれない。

それが悪いとは言わないんだけど、人間って弱いものでさ。
ずっとそればかり眺めていると、その内容がさも大多数の意見や考えだって錯覚を起こしやすい。

ま、俗にいう洗脳なんて方法の類もこの原理ではあるんだけどね。

さてさて、ではそうした書き込みを見て自分も気を付けなければなぁ……って思って反面教師にすることはすごく大切。
それは間違いなく良いことだし、そこで学んで自分の家族の笑顔に繋がるならば素敵だよね。

ところが逆に、その書き込みが大多数の意見や総意のように勘違いをしたとします。
結果としてこう思い込む。
「そもそも誰かと一緒になることは危ないんじゃない?」
「それなら面倒だし一人でいたほうが良いじゃん!」
こんな考えに至ってしまうのは悲しいよね。
……でも実に多いんですよね、この傾向。

それは小さな声やごく限られた小さな意見が、SNSや動画サイトなどのフィルターを通ったことによって、実際より大きく聞こえるようになっただけとも言えるんだよね。
音楽で言うなら小さな音を大きく響かせるアンプにたとえてもいいかな。

情報化の進んだ社会だし、情報を仕入れないわけにもいかないよね。
だからこそ今一度、本当にそうした考えや意見ってのは多数派なのか、それとも声の大きい少数派なのかって考えないとダメだよね。

これは果たして……?情報はよく噛んで味わって召し上がれ。

笑い話で済むならいいけれど、もし何かしらの実害に至ったら悲しいお話。
あらゆる情報はひとつの情報として捉えてさ、それぞれを自分の頭でこねくり回してアウトプットする癖って重要なのかもね。

情報はあくまで自分がしあわせになるための道具だからさ。
眉間にシワ寄せて眺めるより、笑いジワつくって付き合っていけたらいいんじゃないかな。

その声は多数派のものか、それとも声の大きい少数派のものか。情報はしあわせになるためのツール。

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記事内の挿絵はAIにより生成されたものです。
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