「うつは甘え」……?

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なぜかしんどいときほど目に入るんですよね、そういう言葉。

誰でもさ、気分が落ち込んだりつらい気分になることってあるよね。
滅入った状態だとさらに落ち込んだりの悪循環だってある。

よく「うつは甘え!」「精神病は気合!」なんて言葉を聞く。
実際に厳しい状態の人や、そうした症状が出ている人に投げかけられているのは本当に見るだけでもきつい。

でもさ、なんでこんな言葉が古くから今に至るまで残り続けてるのかな。
医学的にも明らかに間違っているって意見が大多数だと思う。
それでも言葉だけが残る理由って何だろう。

単に誰かを傷つけたり追い込むために残っているんだろうか……。

・心頭滅却すれば

もしかしたら「うつは甘え」ってのは本当なのかもしれない。
ただしそれは精神的な修行を長年続けて、それ相応の精神的なタフさを身に着けた人ならば……って前提でね。

揺るがない精神なのか。揺るぎを受け入れる精神なのか。どちらにしても尊敬します。

でもさ。
精神的な修行を長く続けた人は、弱った人を追い込むような言葉を発することはないよね。
だってそんな小さなことのために過酷な修行をしてきたわけじゃないでしょ。

修行する動機が不純ならきっと長く修行は続かないし、最終的なアウトプットがそんな程度のことってんじゃ情けないでしょ。
つまり他人に対して「うつは甘え」って言い放ている人は、中途半端な修行で脱落した人か、他人の話を単に代弁してるだけじゃないかなって思うわけ。

・精神の修行?

精神的な修行とは言うけれどさ。
健康な人ならば、純粋に精神部分だけを修行するなんてことは不可能に近いと思う。
なので部分的に精神面の鍛練を含む、身体的に過酷な修行というものが数多く存在しているとボクは考える。

心身がつながっているからこそできるアプローチ方法とも言えますね。

肉体に大きなストレスを与えるとさ、もちろん精神にもストレスが発生する。
とは言っても精神の修行に用いる肉体的ストレスってのは、すでに常軌を逸しているレベルの可能性があるんだよね。

だから純粋な精神修行の代替として「苦行」なんて呼ばれる方法があるんじゃないかな。
身体をとことんまで傷つけて、そこから派生する精神へのストレスを用いて修行するとボクは見る。

得てしてそうした苦行ってのは、たぶん一般人が生きるうえでほとんど意味を成さない。
今の時代なら見世物でお金を集めることはできるかもしれないけれど、それが動機だとしたら不純ではあるよね。

・無理する必要なんてない

普通のサラリーマンがさ、ムエタイ選手や空手家のように自分のすねをビール瓶で叩いて鍛える必要って無いよね。
だってその仕事では不要なものだし、生きるうえでとくにメリットも存在しない。

たくましい肉体も素敵ですけれども。素敵ですけれどもね。

じゃあ闘うことにまったく縁のない一般人が、修行のために日常生活に支障が出るほどの肉体的なダメージを受け続けられるかな。
50年60年と、一銭の金にもならない苦行を続けることは果たして現代社会で許容されるんだろうか。
誰かを救済する目的があるとしても、それが認められる可能性は限りなく0に近いんじゃないかな。

ここではわかりやすく身体的なダメージがおよぼす一部が精神にも至るって話で置き換えた。

でもさ純粋な精神修行のためのストレスを受けられる人なんて皆無に等しいと思うよ。
むしろそんな状態の人は、すでに相当深刻な精神の病を抱えてる場合も多いんじゃないかな。

だからさ「うつは甘え」ってのは、もしかしたら本当かもしれないけれど、それを他人に言うシチュエーションってのは不思議なわけ。

過酷な精神修行を続けたならば、そんな下らないことを言って誰かを傷つける必要もないからね。
つまり「うつは甘え」が正しいとしても、それを言い放つ人は精神的な修行がまったく足りていないってお話。
中途半端な脱落者が、効率良い単なる暴言として扱っているからこそ、現代にまでそんな言葉が残っているんじゃなかろうか。
それがボクなりの考察だ。

みんな何も無理なんてする必要はない。
身体が痛ければ無理に我慢せずに痛み止めを使ったっていいじゃない。
精神がつらければ無理に我慢せずに専門家に頼ったっていいじゃない。

自分の心身と一番長くつきあっていかなくちゃいけないのは自分自身ですし。

誰かが誤って広めたつまらない言質のせいで、余計につらい思いをする必要なんてどこにもないんだから。

「うつは甘え」はスルー一択。必要な助けは求めよう。

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