本当にそのゲーム、楽しめてる?

※この記事を読むのに必要な時間は約 5 分です。

ゲームはわたしたちを非日常へと誘ってくれます。

じつはものすごくゲーム好きな私。
はじめてのゲームは2歳か3歳だか、兄の持っていたブロック崩しゲームをやったのが最初かな。

それから幼稚園児の頃には近所の駄菓子屋さんでゲームをしたり、パチンコの実機を買ってもらって遊んだり。

既にゲームをやり始めて数十年は経過するか。
でも最近はさ、なんだか本当にゲームを楽しめているのかなぁ……って思うこともしばしば。

・純粋な楽しさ

基本的にゲームというものは自己満足の世界だと思っている。

笑顔でガッツポーズ!それでいいんす!

自己満足だからこそのマイペース、自己満足だからこその時間の掛け方。
そうしたものが許されるからこそ、私はゲームの世界が非常に好きだった。

それなのにさ。
やれ人気があるからあのゲーム。
やれみんながプレイしてるから自分も買う。

どうしても誰かとプレイをすると、競ってしまうというかな。
競技性を帯びると途端にゲームの楽しみが減退してしまうわけです。

この理由は簡単。

それはゲームの純粋な楽しさではなく、他人より強い、うまい、知識がある……。
など比較対象があるほうが単純明快ってだけの話。

これはゲームの本質的な面白さとはまったく異なる性質のものなんだよね。

・金のために遊ぶ

スポーツの世界ってのもある意味ではゲームと共通している。
元は純粋に遊ぶことから発展したスポーツも多いわけでさ。

公園で缶けり、やりましたよね。え、やりましたよね?

みんなに馴染みのあるスポーツには球技があるよね。
球技はすごく種類も豊富で人気も高い。

でもさ、たとえばテニスボールがコートに落ちたら、その部分に稲穂が生えるわけではない。
ホームランを打つと外野スタンドでステーキが供されるわけでもない。

要は人間の生存に必要不可欠ではないスポーツに、現代ではいろいろな形で大きな金の流れが生まれている。

プロを目指してスポーツにまい進し、極限まで鍛え上げた身体でお金を稼ぐこと。
ものすごい努力の証だし褒め称えられて然るべきだよね。

でも同じスポーツ、それが野球でもテニスでもなんでも。
それを私たち一般人が楽しむためにプレイすることってすごく大事なんじゃないかな。
健康のためにも、日ごろの運動不足解消のためにも、適度なスポーツは良いことだよね。

ところが最近は明確な結果やメリットが存在しないものを否定する傾向が多くみられる。
タイパやコスパ、論破の類の言葉でよく聞かれるかな。

・邪(よこしま)なゲーム

ゲームも形を変えて、今やネットゲームもたくさんある時代。
ゲームを取り巻く環境をあらゆる角度から傍観するとさ、何気にわかることもあるんじゃないかな。

みんなで集まってそれぞれひとり遊び。ってことも今ならある?

はっきり言ってゲームも趣味もスポーツも何もかも。
それは自分が楽しんでストレス解消し、人生を豊かにすることが最大の目的。
にもかかわらず、誰かにマウントをとるために鬼の形相で熱中したり、破産するまで金を突っ込んだり。

そんなのはゲームが好きでもなんでもなく、承認欲求や金、優越感、プライド……。
その類の人間の小汚い感情に飲み込まれているだけってこと。

そりゃそうだよね。
ゲーム開発だって企業は金が掛かる。

金を儲けるためには、そうした人間の汚い部分につけこむのが簡単だからさ。
常套手段だし、別に誰もが気づいてることだろうね。

時には内に秘めた劣等感をくすぐってきたりもしますよね。

ただし本当にゲームが好きで、ゲームを愛しているならば、自分の汚い部分を刺激された結果とゲームの楽しさを混同しちゃいけないと思うよ。

ほら、人気を上げようとお金を賭けたスポーツくじを発売したところで、そんな安易な方法が見透かされてしまえばどうなることやらね。

見返りのない「今日は楽しかったね」ができるのが本当の遊び。

※「ほんの1ミリ生きやすく」では匿名の相談をお受けしています。内容は記事として取り上げてもよいものでお願いします。相談はこちらから(別サイト「Peing- 質問箱 -」が開きます)。

タイトルとURLをコピーしました