悩みの尺度

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散々ロマン思考したあと「で、どうしたらいいのよ」って我に返ったときの気持ちは言葉にできません。

よくさ、人間の悩みなんて宇宙から見ればちっぽけなもんだ!
なんて話をさも人生訓みたいに聞くことってないかな。

言いたいことはわかるよ。
自分の悩みを矮小化して、それで前向きになりなさい。って意図があるんだろうね。

でもぼくはなんでそんな表現をするのかわからない。
他人がどうあれ、宇宙がどうあれ、いまその人が悩んでいるならそれ以上でもそれ以下でもないよね。

今日は物事を考えるうえでの尺度のおはなし。

・悩みを否定?

人が100人いれば、100人なりにそれぞれの悩みは必ずあるよね。
やれどちらが苦しいだの、より悩んでいるだの、そんなのは大したことないだの……。
世の中はそんな話ばかりで面倒くさい。

そりゃこんだけ人がいればそんだけ抱える想いもあります。

放っておけば、ほらすぐにでも似た悩みを持った者同士で集まりだしてさ。
それで時間が経つとやっぱり自分のほうが悩みが大きいだのなんだのでトラブルに発展。

こんなのばっかり。

悩みなんてのは誰かと比べて大きいだの小さいだの言う必要も無いことでさ。
その人が悩んでいるなら、それは悩みの大小にかかわらず悩みなわけ。

「悩むなよ!」「くよくよするなよ!」
ってね、きっと言った当人は励ましの気持ちなんだと思う。

でもいいじゃん。
生きている限り悩み続ければ良い。
ひとつの悩みを解消したって、ずっと悩みが尽きることなんてないんだから。

それでいいんだよね。

・悩みの大きさ

確かにひとつの共通する事象について、いずれが大きいか小さいかって尺度はあると思う。
たとえば障害の重さや生活の水準……そんなのは世の中にいくらでもあるよ。

もし悩みすべてが宝石だったらぎっしり輝く宝石箱をつくれる自信があります。

いつだったか話をしたかもしれないけれど、インプットが同じでもアウトプットが同じってことはないんだよね。
100倍カレーを食べて美味しい!と感じる人もいれば、辛くて苦しいって感じる人もいる。

じゃあ悩みだって一緒だよね。
自分にとっては小さな悩みで、なんら苦痛も感じない。
けれどもその人にとっては大きな苦痛が現れることも十分にある。

痛みに強い人、痛みが苦手な人、痛みを快感に思う人、そんなのも人それぞれ。
だからといって強がる必要もないし、憧れる必要もない。

それが個人差なんだから、自分が悩んでいるならそれだけのお話。
まあある程度は訓練や生活のコツ、工夫などで改善することもあるけれどさ。
それも人それぞれではあるよね。

・空を見りゃ無数の星

悩んでるときには空を見ろよ。
あんだけの無数の星に比べりゃ、君の悩みなんてちっぽけだろ?

星空は我々の悩みと比較されてどんな気分なんでしょうか。

だなんて、まるで常套句のように繰り返す人もいる。
でもさそんなのは単に正面から悩みと向き合うんじゃなく、逃げるための口上に過ぎないとぼくは思う。

単に尺度が違うだけでさ。
惑星には惑星の、恒星には恒星の、銀河団には銀河団の悩みだってあるはずだよ。

なんなら細菌にもウイルスにも、クォークにだってレプトンにだって悩みがあるんじゃない?

人間一人ひとりに悩みがあるなら、彼らにだって悩みはあるわけでさ。
単に尺度が大きいから小さいから……だからなんだって話。

一時的に話をくらまして自分の悩みを忘れようとする。
たしかにそれもいたって人間らしい行動だとは思うよ。

でも悩みそのものを否定する必要なんてどこにもないわけで。

悩みを抱えて、解決してもまた別のことで悩み。
それの繰り返しだっていいじゃない。

この世に存在するすべてのもの、大小や単位はいろいろあるよ。
でも一方向の時間の流れにそって、ゆらゆらと流れて行くことだけは違いない。

流れ流れていく中で人々とふれあい浸食し、自らもその様子を変えていきます。

その流れに抗うことも逆に進むことも叶わない。
けれどもさ、しっかり前を向きながら流れていれば、もしちょっと先に岩があっても避けられるかもしれないよね。
もちろん流れの先に岩が無いことを願うのもひとつの手。

そうではなく、流れの先に岩があったとしても、いざというときに避けられる可能性が1%でも上がるならさ。
前を見て流れることにもきっと価値はあるんじゃないかな。

悩みはだれかと比べられるものではない。しっかり前を向いて流れていこう。

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記事内の挿絵はAIにより生成されたものです。
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