人間も動物って~ストレスと付き合うヒント~

※この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。

既読無視だと思われたくない。そのマメさがストレスのもとに。

人間社会って複雑で本当にたいへんなことでいっぱい。
誰かと遊ぶにしたって、約束をして身だしなみを整えて、それで電車に乗ってやっとスタート。
今の時代ならSNSで失礼のないように既読を付けた瞬間になるべく返信ってさ。
疲れちゃうよね。

・野生動物と人間

よくよく考えるとさ、人間も遥か昔は野生の動物だったわけだよね。
たしかに高度な社会文明を築き上げて、もう天敵って存在はいないと思う。
頭脳の発達も凄いって話だよね。
昔に比べて凄く大きくなったんだってさ。

でも脳の大半は使われていないって説もありますね。

でもさ、身体のほとんどは昔ながらの野生動物と同じなんじゃないかなぁって。
いや運動神経とかの話じゃあなくて、それこそ体内でのホルモンや酵素みたいなものって昔のまま使ってるんじゃないかな?
神経の興奮が伝達する仕組みとか脳が記憶するメカニズムとか、そういうのも。

人間が社会文明を持ってからの期間では、身体まで全体的に進化するには時間が足りないって思うんですよね。

・適度なストレス

これはボクの勝手な想像なんだけどさ。
イライラしたり不安になったりするあのストレスってあるよね。

人間を含む動物にとって、ストレスってのは実は大切なんじゃないかなって思う。
よくストレスフリーな生活を!!だなんて言われるけどね。
だってさ「嫌なこと」があるからこそ「良いこと」に転じたときには喜びも増えるわけだよね。

たぶん同じ強さの「良いこと」があってもさ、なーんも「嫌なこと」がなかったら大して嬉しくないんじゃないのかな?って。

そうだなー、適切なたとえかどうかはわからないけどさ。
「押入れから1000円が出てきた」
って、たぶん「良いこと」だよね。

もしお財布に10円20円しか入っていない人だったら、そりゃ飛び跳ねるほど嬉しいかもしれない。
でもさ、好きなときに1000万円をポンと使えるような人なら、そんなに嬉しくないかもね。
むしろ「良いこと」って認識すらできないかもしれないよ。

・やり遂げた感!

通ってきた道によって達成感が大きく変わるならさ。
やっぱりある程度のストレスや苦労って必要だと思うんだよね。

達成感を得るから動物って社会で生きられるんじゃないかなって。

なんの苦労も無くてさ、襲われることもない環境で好きなことだけして過ごしたい!って思うことはない?

誰もが憧れる夢の生活かもしれないよね。
でもボクの想像ではこう思う。
きっとその生活が続けば、また別のストレスが出てきてつらくなるんじゃないかなって。

人って退屈になると良くないことばかり考えてしまいます。

やれ暇だ、飽きた、つらい。
そして人によってはまた達成感を求めて、危険な場所へと赴くかもね。

・大きすぎるストレスはあぶねーよ

でもさ、これも想像なんだけどね。
達成感や喜びってのは、ある程度の限界値があるんじゃないかな?って。

野生動物のころの話ならさ、獲物を仕留めて嬉しい!!って気持ちは大切だよね。
でも狩りに出かけるたびに命を失うレベルでの怪我や喪失感を味わっていたらどうなるだろう。
いつしか「獲物を狩る」って大切な行動に達成感が伴わなくなってしまうことはないかな。

命のやり取りをするのにストレスフリーだなんてありえませんからね。

要はさ、生きるためとはわかっていてもだよ。
達成感がないことの連続ってのはまた、精神的に燃え尽きる原因にならんかなぁってね。

つまり大きすぎるストレスの連続は、脳の処理能力を超えてしまうのかも。
「やった!苦労したけどやり遂げた!!」
っていう喜びが脳のストレスに対する付き合い方だと仮定すれば、その限界があるんでない?ってね。

キャパオーバーでエラーが起こるのか、達成感がアウトプットできなくなるのか、そんなことまではわからないよ。
だって単なる想像だもの。

・もしや現代社会って

まぁここまで想像の話ではあったけども、今の時代って精神的につらい人ってたくさんいるよね。
それこそ精神を病んでリタイアしてしまう人だってたくさんいる。
病気とまでは行かなくても、やっぱりイライラが続いて攻撃的な人も多いじゃん。
怖いよね。

もしかして人間の社会生活ってさ、高度な文明になるにつれてですよ。
動物としての人間のキャパシティを超えてしまったんじゃない?

人は一人ひとり、異なる器を持っていると言われています。

仕事や家事、育児など「日常の生活」ってものはストレスが伴うよね。
でもそのストレスが大きすぎて、毎日が命のやり取りレベルのストレスになっちゃっている、なんてね。
でも人間の脳や身体がその環境に適応するには、ちょっと時間が足りないと。

これはアレですよ。
5年10年前では大したことがなくても、文明の成長で大きなストレス要素になることはあると思うよ。
だから「今の若者は気合が~」「昔はこの程度で~」なんてのは筋違いだよね。

同じストレスに見えても、同じ環境で受けたストレスではないんだもの。
社会の状況によってもぜんぜん違うのだから、自分や時代に置き換える必要はないよね。

・じゃあどうするのよ

さて、とは言うものの便利な生活や日常の快適さを手放すわけにもいかない。
かといって命のやり取りで燃え尽きるのもねぇ……。

じゃあやっぱりさ、都合よくなんでもかんでも解釈するのはズルイかな。
考え方や捉え方、ものの見方もぜんぶ自分に都合よく認識するの。
仕方ないよ、だって身体や脳の進化が追い付かないんだもの。
そんなの誰のせいでもないって。

1000円札を拾って狂喜乱舞するほど喜ぶ生活は悲しいじゃん。
かと言ってホコリやゴミ程度にしか1000円札を認識できないってのもさみしいじゃん。
「道端で1000円札を見つけたらラッキー!」って思えるくらいの適度なストレスの中で生きたいな。

過ぎたるは何とやらってね。何事も適度が一番です。

人間はそれなりの適度なストレスを上手く利用してさ。
自分に都合よく生きることが、生きづらいこの世の中を生きやすくするスキルなんじゃないかな。

そうやってストレスをコントロールできたらこっちのもの。
小さな「良いこと」で大きな喜びを感じ取れるような生活が理想かもしれないよね。

何事も自分に都合よく認識することでストレスをコントロールしよう。日頃から達成感を確実に得られる小さな目標を設定することが、燃え尽き防止につながる。

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