備えあれば……

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勇敢な人たちによって守られているわたしたちの日常。

最近のニュースを見てもわかるように、日本はどうしても災害とは切っても切れない関係にあるよね。
地震や台風、水害などの自然災害の影響、それは遥か昔からたぶん何も変わっていない。

もちろん災害の発生リスクは昔から変わっていないけれど、技術の進歩で予防だったり被害を抑えたりってのはできてきたかな。
それでもさ、自然ってのはいつでも人知を超えるような大きな力があるじゃないの。

よく「備えあれば患いなし」なんて言葉を聞く。
確かに小学生のころから避難訓練をしていたし、いざという時に命を救う判断ってのは訓練や稽古によってもつちかわれるのかなぁって。

・禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

良い事も悪い事もそれは入り混じっていて、いつどう転がるかわからないほど複雑な流れを持っているってお話。
たしかにこうした故事成語やことわざは沢山あるよね。

あの悪夢のような日々があったから、あなたに出会えました。

「塞翁が馬」や「災い転じて福となす」なんてのは、やはり悪い事があってもめげてはいけないというポジティブなお話だと思うよ。

でもさ、決してネガティブな話ってわけじゃないって前置きしたうえでね。

それだけ出来事ってものは単調じゃあない。
って話でもあるよね。
じゃあ悪い事だけにフォーカスを当てた際にさ、悪い事がたったそれだけで終わりとは限らないとも言えるのよね。

つまり「これ以上の最悪はない”だろう”」と思っていても、その思いは簡単に裏切られることもあるってね。

もちろんそんな悪い事ばかり想像していたら具合が悪くなるよね。
でもきちんとしたバランス感覚を保てるならば、悪い想定や想像をしてあらかじめイメージトレーニングをしておくとさ。
これって避難訓練やらに通じるところもあるんじゃないかな。

・何事もバランスが大事

人間って誰だってそう。
自分がうまくいくことや成功する可能性を過剰に大きいと思い込みやすいよね。
だからギャンブルや宝くじなど、夢を買う系のものは時として社会問題になる。

お金は人の判断力をサル以下にします(当社比)。

生きていくうえでお金ってのは大切だし、「お金を得たい」気持ちってのは「食べ物を確保したい」ってのと似ているのかもね。

どうしても人間、そうした本能的な欲望には弱いものでさ。
いつの時代も、お金が儲かるって詐欺がなくなることはないよね。

自分の未来は誰にもわからない。
けれど自分で想像することはできる。
ただ多くの場合は「良い事」を過大に評価しがちだよね。

バランスが大事って話はしたけれど、夢を見ることは決して悪い事じゃない。
でも漠然とした夢ってのは、フワフワしていてご都合主義で、誰かに付け込まれる隙がありすぎることが多い。

普段なら10秒も考えればわかるようなことも、夢をちらつかせられると判別がつかなくなる、なんてのもザラ。
反面、それが人間の活力でもあり、誰かの糧にもなる、ってのが不思議だよね。

もちろんネガティブな想像も大事だけどさ。
「誰かに監視されている」だの「電磁波攻撃を受けている」だの、そういうのは専門の人に相談しないとダメだよね。
何事もバランスって大事だね。

・訓練や準備の重要性

やっぱり何事も訓練をしておくと、いざという時にパニックになりにくいってのはあるんじゃないかな。
普段から逃走経路を意識したり実際に訓練を積んでいれば、いざ災害が起きたときに大切なものを損ねる割合は下がると思うよ。

自分を守れるのは結局のところ自分しかいないのです。

でもこれってさ、何も災害に限った話じゃないんだよね。
冷静に自分の状況を確認して、万が一なにか悪い事が起こった際の身の振り方……。
こうしたことだって避難訓練と同じように考えることはできないかな。

たとえば勤めている会社から万が一、何かしらの理由で解雇されてしまったら。
病気知らずの自分がある日とつぜん大病を患ってしまったら。

一時的な生活の変化ならまだしも、その後の人生を大きく変える出来事に見舞われることだってあるよね。
それは誰も否定できない。

社会的な恐慌で持っている資産価値が一変するなんてのは歴史上でいくらでもあるわけでさ。

リスク分散だの、健康診断だの、入院保険だの、そのレベルじゃとどまらないお話。
もちろんそうしたものも非常に大切だよ。
けれどそれ以上に、人間の力ではどうにもならないことをどう考えるかってお話だよね。

もちろん「杞憂」って言葉にあるようにさ、通常では起こりもしないようなことを心配したってしゃーない、ってのもある。
けれどその判断、そのバランスには厳密な定義があるわけじゃないからさ。

じゃあ30000人に1人がある日、いきなり治らない病気になるとするよ。
まあたとえ話でね。
実際にそうした病気もあるわけでさ。
その数値を現実的と見るか、杞憂と見るか。

確かにそんな低い確率を引く前提で生きるのはつらいよ。
でもほんの1秒でも、実際にそうなった時のイメージをしておくだけなら悪くないように思う。

この群れの中、誰も自分が釣られるだなんて思わなかったはず。

だってその1秒のイメージで、その低い確率を引いた後に絶望をするか生き延びるかの境界があるとするならば……。
それはきっとすごく価値のある1秒なんじゃないかな。

なんて、点滴の痕を見ながらボクは思うんだ。

日ごろから備えよう。1秒の杞憂が最悪の結果を防ぐかもしれない。

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記事内の挿絵はAIにより生成されたものです。
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