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大きくなったら仮面ヒーローになりたい!
魔法少女になって活躍するんだ!
起業して大きな会社に育て上げるぞ!
困った人に手を差し伸べられる人になりたい!
小さいころ、誰しもが夢や希望、憧れや目標ってものはあったよね。
それは傍から見れば妄想や空想、虚言や想像、戯言はたまた綺麗ごと……。
でもさ大人になるにつれて、何やらそうした想像すること自体を「現実逃避」や「カッコ悪い」と考えるようになった節ってないかなぁ。
・想像力の豊かさ
子どものころはルールなどなしに、とにかく自分であらゆることを想像して挑戦する。
そしてときには怪我をして、トラブルになって、それでもその結果の因果を自分で考えることで成長するんだよね。
もちろん子どもは知識的に乏しいからさ。
空想や非現実的に思えることを想像して夢見る場合もあるだろうね。
たとえば悪い宇宙人をやっつけるヒーローになりたい!って意気揚々と話す子どもがいた。
でもそのときにさ、物理法則的に宇宙人と出会えることはまずないよ。
って話しちゃう大人がいたらどう思うかな。
ボクは単なる野暮ったい大人だと思うし、残念な人だとも思う。
どうしてか。
だって子どもがそれだけ強い興味を持ってくれるコンテンツなわけです。
ヒーローものは、アニメや映画で大きな収益を上げる可能性も十分にある。
じゃあそうした大きな需要に対して、そのもの自体を否定するってことはそのビジネスの否定と同じじゃないかな。
世の中に存在するさまざまなコンテンツ、それは映画でも漫画でもアニメでもなんでもいい。
ほぼ大半はフィクションっていわれる作りものではあるよね。
きっと作者は「こういうヒーローが、こうしたストーリーで活躍したら爽快だな……」なんて想像からスタートしたんじゃないかな。
でもそんな想像からの産物だって、現実的に起こりえない、あり得ないことも多々あるわけでさ。
それなら想像じゃなくて妄想だったり空想ともいえるんじゃないかな。
作者がいろいろな想像をして作り上げて、そして売り上げる目標やビジョンを持って。
そうして社会に送り出された作品を見て喜ぶ人たちがいる。
大きな社会的ブームを巻き起こして、大きな仕事としてたくさんの人の生活を担うことだってある。
そのはじまりが単なる「想像」だとしても、その想像がなければ存在しなかったんだよね。
じゃあ「想像力」ってものすごく大きな力なんじゃないかな。
・想像できる範囲
よくこんな話を聞かない?
「目標を立てて、明確なビジョンを持てば道筋が見える」
なんてさ。
どんな会社でもあるあるな話だよね。
でもこれってボクら個人単位での人生についても同じじゃないかな。
ネットだととくに多いのが、非現実的な想像をする奴は愚か、みたいな風潮。
確かにサラリーマンがどれだけ大きな想像をしたって、まぁほぼノーベル賞に至るなんてことはないとも思う。
そうした意味でも、世を知ったつもりの大人は「現実を見ろ」なんていうんじゃない?
夢や妄想、ふざけた想像、あり得ない空想……。
いいじゃない。
そんなのいくら大きくたって無駄じゃない。
宝くじを当てることを夢見てる人がいてもいい。
実際はほぼ当たらないとしても、抽選日までのワクワクが楽しめるだけでも価値はあると思うよ。
もちろん生活費を宝くじにつぎ込んじゃったら別問題だけれどね。
別に当たるわけがないと判断して宝くじを買わないのは本人の自由。
でも夢や想像を抱いている人に対して、やれ否定ありきの論調な人はさ。
やっぱり野暮ったいという印象しか持てないんだよね。
要は自分が想像した範囲を超えたことが起こったとき、だいたいはうまく対応できない。
会社の計画、想定以上の売り上げが起こった。
これは嬉しい誤算ではあるけれど、たぶん想像をしていない範囲に及べば増産も対応もままならないよね。
何事もバランスが大切。
良いことに大きな想像を広げすぎれば単なる皮算用な人だし、悪いことに想像を広げすぎればこれもまた陰謀論などにつながる傾向はあるよね。
陰謀論くらいの話ならまだしも、それが病気による妄想にまでなってしまえば目も当てられないよ。
たださ、想像するってのは無料なんだよね。
自分で適当に想像してさ。
もちろん会社が倒産するだの、自分が病気になるだの、過度の心配はよくないと思うよ。
けれどもそうした想像があれば、実際にそうなったときに対処もしやすいんじゃないかな。
何事も備えあれば憂いなし、ってね。
・ペットショップでの想像
ボクは動物が好きで、しょっちゅうペットショップに行ってはいろんな動物をながめて楽しんでる。
新しい家族をお迎えする人達の場面にも遭遇するよ。
みんな満面の笑みで動物をお迎えしているように見える。
きっとさ、犬が新しい家族となったときには毎日お散歩をして、健康的に犬も自分も走り回る。
すれ違う人に挨拶も自然とできて、犬を飼う同士の楽しい世間話。
そうしたポジティブで明るい想像ができたんだよね。
だからペットを飼うことに決めたんだと思う。
でもどうだろう。
犬を目の前にしてさ、「排泄物の処理が面倒くさい」「しつけが失敗したら損害賠償もありえる」「毎日の外出なんてダルい」。
これは確かに現実のことで間違ってはいないし、たいへんなことでもある。
けれどもそんなネガティブな想像で埋め尽くされた人がペットにお金を払ってお迎えするかな。
まず間違いなくお金を払ってまで飼いたいと思えない気がするよね。
「ペットを飼う」ってことを、良い視点から見れば楽しさも多い。悪い視点から見ればつらさも多い。
だけれどもそのバランスで、良い想像が大きく上回ったからお迎えにいたったと考えるほうが自然だよね。
それってさ、昨今よくいわれる少子化問題にもいくらか関係しているんじゃないかな?ってボクは思う。
どうしても人ってネガティブな情報の印象が強く心に残るもんだよね。
まず妊娠や出産のリスク、育児のたいへんさ、金銭面、社会的な責務。
SNSなんかではそうした愚痴や苦労話で埋め尽くされているような状況だよ。
別にそれは事実だし、たいへんなことに間違いはない。
でもどうだろうか。
たとえば子どもが初めて言葉を話したときの感動や成人したときの喜び。
運動会で頑張っている姿を見たときでも何でもいい。
子どもがいることで喜ばしい場面は一切存在しないのかな。
ボクは多かれ少なかれそうした場面は必ずあると考える。
今の時代、若い人たちがこれからに備えていろいろな情報をネットで見ることは当たり前だよね。
でもネット上でリアルな生の声として、ネガティブ要素満載の情報を目にしたらどうだろう。
どこを見ても楽しさや明るい生活のことが書かれていない。
むしろ楽しいことを報告する人がやっかみで叩かれるような世界。
これから子どもについて考える人たちにとっちゃ、人によっては恐怖しか残らないことだってある。
んでペットショップの話。
もし目の前のペットに対してネガティブな想像しか持てなかったらさ。
きっとペットのお迎えには至らないじゃん。
それと似たような状況が人間の少子化問題でも起こっているんじゃないかな、って。
ネガティブな情報も大切だけど、しっかりとポジティブな情報も伝えたうえで判断するのがベストだと思う。
そのバランス、ようは天秤が楽しさや笑顔などポジティブなほうに傾く人だっているんじゃない?
良い面も悪い面もあって当たり前。
だけど悪い面を感じている自分の境遇を、他人に共感させようとする姿勢はいただけないかな。
もっと笑顔があふれるためにどう改善するかを話し合ったほうがみんな幸せになると思うんですよ。
できれば笑って過ごしたいもんだよね。
想像力は想定力。物事はネガティブな情報だけじゃなくポジティブな情報も見聞きしてから判断しよう。
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